引きこもりを過去にしたいブログ

人生長いから何だって

母親のことを話します

今日は時間に余裕があるので母親について詳しく記事でも作ろうかと思います。
ブログを通じて自分の家族が赤裸にされるのは、昔はそれなりに抵抗もあったのですが、もうこのブログが自殺後…死後の遺書の代わりにでもなればええやん的な気持ちの切り替えが出来たので、こうやって書いている次第です。
自殺すると決まった訳ではないですが、いつ自殺するか分からないので、まあ書けるうちに書いちゃいましょう。

私の母親は普通ではありません。
いえ、普通の世界で生きてきて、誰にも発見されなかった生きづらさを抱えてきた女性です。遠回しに言いますが、普通から外されてもおかしくなかっただろうに、運に運が重なって普通として生きてきちゃった人です。

彼女の人生は暗いモノです。
彼女が自分の人生を語ることはありません。ただヒステリックになった時のみ断片的に叫び散らします。
当然恋愛もお見合い結婚。友達もいないと泣き、親にも絶対的な信頼がないようです。

なにせ致命的に物わかりが悪く、言葉が伝わらないのです。
皮肉が分からず、ネタ発言を真面目に取り、人の心の機敏を読み取ることに欠けています。
全てを悪い方にとり、自分から何か行動を取ったり会話したりすることを知らず、それでもなお自殺など考えない人。その癖プライドとわがままだけは人一倍強く、叔母からも「お姫様として生まれればよかったね」と言われる母親。

私は愛などない夫婦の、暗い母の人生の中で明るい人生を託された子供、ひとり娘として生まれました。

かなりの遅生まれでギリギリセーフといったところです。従妹はみな5歳以上年上で、もちろん周りの子達の母親より何歳も年上でした。そのせいでかなり恥ずかしい思いもしてきました。
カエルの子は蛙でしょうか。母親もいじめられた経験があるそうですが、私も小5までは断続的にいじめられていました。
すみません、思い出すと胸がどうにかなるのでここの話はやめときましょう。

とにかくヒステリックで、社会的に人と会話することが奥手だった母親に、子供のころから不安を抱いていました。
子供に何かと辛い世間での生き方を躾をするような頭のまわる人ではなかったので、いじめも私を守るどころか母親さえいじめっ子に舐められるという始末でした。先ほども言ったように彼女に友達はおろかママ友もいません。
とにかく孤立、孤立、孤立。いじめられても跳ね返す術がない。

ただ私は恵まれている点がひとつあります。
なぜかそういういじめっ子とはすんなり決別するところです。
断続的……ということで、私をいじめてきた子達も数人はいるわけですが、全員引っ越しなどで疎遠になり、名前もほぼ憶えておりません。復讐したいと思いもしませんね。それより今の苦しみを何とかする方が先。

私はそういう風にヒステリックに自分の人生を嘆く母親に、慰めてあげる役目をよくしていました。
私が何か辛い思いをしてもとても母親に言うことは出来ません。母親はその私の辛さを何倍にもして発狂しだすからです。平凡に生きたかった私はいつからか辛い、苦しい、悲しい、という言葉を言うことが無くなりました。

ここだけの話です。

私には本当のお母さんとお父さんがいると思っています。

いや、これは現実を認められないだけだと自覚しています。ただ前も言ったようにこの人たちが親だという感覚も、希望も全くないのです。スピリチュアルな世界ではありませんが…魂的なものがあるとするなら、人間としての親がこの母親だとしても、魂としての親はまた別にいるんじゃないか。包容力があって頼れる親が……。
恥ずかしい話ですが、死んだらその母親に会えると思っています。だから早く死んで会いたいのです。

悲しいです。私の明るい演技にころっと喜び、鬱になって死にそうになってる私には気付かず、しんどいも悲しいも言うことが出来ず、そのくせ泣いたら同じように発狂して号泣し、私に依存している母親が憎いです。

これが私の母親です。
何の感情もわかない母親です。

本当に辛い核心の部分は伏せてありますが、これがざっと書けること全てです。

ここまで読んで頂き有難うございました。